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『下諏訪温泉紀行&酒と鰻』

 長野・下諏訪は諏訪湖のほとりにある諏訪大社で有名な静かな温泉街である。駅前にはいくつかの飲食店はあるが、観光地というには少々寂しい。見るべきものは諏訪大社下社春宮くらいであるが、途中に『芸術は爆発だ!』の岡本太郎氏が「こんなに面白いものは見たことがない」と絶賛したという『万治の石仏(まんじのせきぶつ)』を拝む。どでかい半円の石の上に、モアイ像の頭を乗っけてしまったのではないかと疑ってしまうような石仏の阿弥陀如来である。昔、この石仏の石を建材に使用しようとして鑿を入れたら血が出ただの、最近首が伸びただのと、オカルトチックな石仏であるが、見た目がファニーで愛らしい。

 さて、宿までの道のりをぶらぶら歩いていると、町のそこここに熱い温泉が流出していて、ここが温泉街なのだとようやく気付かされる。

 下諏訪は中山道・甲州街道唯一の温泉宿場町であり、鎌倉時代には武士や修行僧も傷を癒やしたとされる浴場である。江戸時代の温泉番付では東の小結にランク付けされた由緒ある温泉だ。源泉は20ヶ所あり、総湧湯量は1分間に5000Lを超える。これは一日に5000人を衛生的に賄える湧出量となる。町のあちこちに10軒ほどの共同浴場があり、様々な源泉のかけ流しを楽しむことができる。泉質は源泉にもよるが、多くは硫酸塩泉であり、愛知県人にはあまり馴染みがない泉質ではなかろうか。そりゃそうだ、硫酸塩泉に入ろうと思ったら一番近いのがこの下諏訪なのだから。

 硫酸塩泉は、『脳卒中の湯』と呼ばれ、動脈硬化や高血圧に効果がある。また、切り傷、火傷などに効くので『傷の湯』とも呼ばれている。旦過の湯(たんがのゆ)という下諏訪で最も有名な共同浴場がある。自家源泉でとにかく熱い。42℃くらいある露天はぬるいほうで、内湯は高熱45、超高熱47が並んでいる。45℃にはなんとか入れるものの、47℃は足を数秒突っ込むのがやっとである。

 私が45℃の浴槽で、湯が動くと熱いからじっと静かに入っていると、異様にデブで真っ黒いボボブラジルのような日本人が来て、突然隣の高熱47℃にドボン!と飛び込むではないか。おいおいと思っていたら、案の定、大声でうおーっと叫びながら、私が熱くてじっと我慢している湯船に真横から入ってきやがった。湯が動いてくそ熱いし、47℃の湯はぶっかかるしで、私はたまらず湯船を出て、しゅぽぽぽとジャイアント馬場となって膝をついた。あぽっ。

 旦過の湯は、ナトリウム・カルシウム-硫酸塩・塩化物泉で、本来硫酸塩泉は炭酸水素塩泉と同様に皮膚の角質をとる作用があって、ニキビなどに効果があり、脂性の人には美肌の湯であるが、硫酸塩泉自体が入浴後も肌がしっとりした感じになる場合が多く、湯冷めもしにくい上に、ここは塩化物も含まれているから保温の相乗効果は大きい。

 さて、下諏訪の名物料理といえば、私はうなぎを掲げたい。全くの住宅街の中でしかも路地というか袋小路というか、こんなところ知ってなきゃ絶対通りはしない場所に『うな富』はある。だから大抵の客は近所の家族連れである。それでもって、なぜかまあまあ混んでいる。ここはうな重がないので(私はうな重しか食わないのに!)、仕方なく特上丼(鰻1本)を注文する。ここのうなぎはなかなかの肉厚で、外側カリッと関西風で焦げ目がほどよくついている。中は当たり前だがふわっとしている。タレの味も量も絶妙で、今まで食べたうなぎの中では5本に入るのではないだろうかというくらい美味い。

 下諏訪には一軒だけ酒蔵メーカーがある。『御湖鶴』である。2017年4月に倒産したが、2019年に復活した。実は2016年の12月、倒産直前に訪問しているが、出荷などでたいへん忙しそうにしていて、全くかまってもらえなかった記憶がある。儲かっていたわけじゃないのね……。今はどうか知らないが、その時は酒蔵内で試飲ができて、根こそぎ飲み倒した。ああ、有料だったから経営は圧迫してないはず。

 そんな下諏訪も一つだけ残念なことがある。駅前に、N社関連の10階建て以上はある一際高いビルが聳え建っている。しかも、夜中も赤くて大きい看板文字が眩しいくらい煌々と輝き、著しく景観を乱している。全く興ざめなんてものじゃない。無粋の局地極まれリである。大体が、あのような街にあんなビルを建てる事自体がアホ丸出しである。まあ、N社の有名な会長っていう人は経済界では一廉の人かもしれんが、風流がわからぬ大馬鹿者なのであろう。所詮株屋だという人もいるが、こういうところで人間の根っこが垣間見られてしまうのかもしれない。経済バカだけにはなりたくないものだ。

うな富